二十歳台で「白樺」に幼稚な作品を載せ始めた頃の私からすれば、徳田秋声も、泉鏡花も、共にひと干支(まわり)以上年長(としうえ)の、遥か彼方に鬱然(うつぜん)と立っている大家だった。この二人は、明治初葉に二年違いで北陸の都会に生を享けて、同窓の幼馴…
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