Marco の本棚

~紙の削減~ 著作権切れの名著

夫に殉じた陸軍大将の妻 乃木静子

作家 角田房子 望まれざる結婚 明治十一年 ( 1878 ) 八月、湯地ゆちお七は陸軍中佐、歩兵第一連隊長 乃木希典まれすけと結婚した。 お七は二十歳 ( 数え年 )、希典は三十歳だった。 お七の父 定之は旧薩摩藩士だったが、武士の身分を失った不遇の人で、鹿児…

蒲原有明『夢は呼び交す』1 書冊の灰

書冊の灰 二月も末のことである。春が近づいたとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭(あ)って、辛(つら)い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来たばかり…

里見弴『二人の作家』

二十歳台で「白樺」に幼稚な作品を載せ始めた頃の私からすれば、徳田秋声も、泉鏡花も、共にひと干支(まわり)以上年長(としうえ)の、遥か彼方に鬱然(うつぜん)と立っている大家だった。この二人は、明治初葉に二年違いで北陸の都会に生を享けて、同窓の幼馴…

江口きち『日記』

図書新聞社:刊 島本久恵:著 『江口きちの生涯』より 江口きちが自死 ( 昭和13・1938/12 ) した年、昭和13年6月1日より11月27日までの日記です。 6月1日 雨気ふくみながら晴。 日誌や手紙の類ひとまず整理して焼き捨てた後、新たに日常生活の記録を書き留め…

芥川龍之介『文反故』

これは日比谷公園のベンチの下に落ちていた西洋紙に何枚かの文放古ふみほごである。わたしはこの文放古を拾った時、わたし自身のポケットから落ちたものとばかり思っていた。が、後のちに出して見ると、誰か若い女へよこした、やはり誰か若い女の手紙だった…

芥川龍之介『六の宮の姫君』

一 六の宮の姫君の父は、古い宮腹(みやばら)の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質(むかしかたぎ)の人だつたから、官も兵部大輔(ひやうぶのたいふ)より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母(ちちはは)と一しよに、六の宮のほとりにある、木高(こだか)い…

菊池寛『頸縊り上人』

頸縊り上人 1922年 ( 大正11 ) 7月「改造」 小原の光明院に、寂眞法師と云ふ上人が住んでゐた。何某の大納言の叔父君に當つてゐる上、學問も秀れ、戒行も拙たなくなかつたから、あつぱれ上人やとて、歸服し奉る僧俗も、數少くはなかつた。 その頃の習ひとて…

徳冨蘆花『寄生木』序

「寄生木」⒈ 徳冨蘆花著 岩波文庫 1984/11..第4版 p.3 正当にいえば、寄生木の著者は自分ではない。 真の著者は、明治41年の9月に死んだ。陸中の人で、篠原良平という。 明治36年の4月頃だったと覚えている、著者が青山原宿に住んでいた頃、ある日軍服の一壯…

徳冨蘆花『寄生木』 第20章 (5) 帰校

276 (5) 帰校 良平は帰校した。約ひと月の転地療養に、病やや癒えて血色も治り、肉まさり、骨も太くなった。間に髪を入れず、翌日から秋期測図並みに戦術実施ため栃木県から茨城県下に出張した。700の生徒は上野停車場(ステーション)に集められた。多くが弁…

夏目漱石『坑夫』3

話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持後あとへ引いて、手の握にぎりをゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだって冴さえない。待て待て、出てから華厳けごんの瀑たきへ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭…