図書新聞社:刊 島本久恵:著 『江口きちの生涯』より
江口きちが自死 ( 昭和13・1938/12 ) した年、昭和13年6月1日より11月27日までの日記です。
6月1日
雨気ふくみながら晴。
日誌や手紙の類ひとまず整理して焼き捨てた後、新たに日常生活の記録を書き留めておこうと思う。昨夜女性時代社へ手紙を書き、一時頃就寝、端午の節句、よもぎやしょうぶを軒にさす、昼も夜も1人の時間の方が多く、瞑想によし、謝すべし。夜に入りてほととぎすしきりに啼く、古歌は思い浮かばず、大野さんの詩を想う。人麻呂の妻をかなしむ歌をみる、今日は何か古人と一緒に暮らしたような心地。
6月2日
朝曇り、午から晴、北風出ず、雲は多いが初夏のすがすがしい空の地肌現れる、夕方からやや寒い。お節句のお柏餅をつくる。来信、おけいさんとたきより、おけいさんに返信を書く。昨夜の徹夜がたたって昼寝し、人の声をきき洩らす、くち惜し。
就寝11時。
6月3日
快晴、風あり、起床5時、早起き異例なり。
母の命日、4月23日改位の位牌木目墨痕新しく、今年は特に机の上に取り出して飾る、いつもながら、仏さまの座を設けると何やら故人と共にある如きことさらな親しみを感じ、いつまでも片付けたくない、平素さびしい部屋のうちらうら安さ満ち、ひとり籠り居て孤独にはあらず、相通う魂、生死を超えて9年の歳月の後に厳存す、よき哉。
安二の除隊、一久氏寄る、誰も彼もさきくあれ。
角田先生お立ち寄り下さる、たきの話の他は、お心の傷みに触るるを怖れ、不肖我等にお慰めの言葉なし。
『女性時代』来る、島田せき子さん、だんだんに別れ、最後に目黒から新宿まで1人の子って一緒だったこの人、終始寡黙、その性格のつつましさを思う。
6月4日
なすことなし、たきに手紙を書く。
栗の梢に花のすでにつきて、碧空にくっきり浮かび、しきりに揺らぐ。
6月5日 朝、晴、午から曇、夕方小雨。
3時から試験、微侯あらわれる、夜まで寝る、夜に入って12時まで起きている。
今夜もほととぎす啼く、血を吐くといった古人の言に違わず。
6月6日 晴 曇
来信、河井先生。
午後、塩ヵ原に行く、たしか三年生か四年生の頃まで一緒だった同級生のおべんちゃんに会う、両方ともわからずじまい、後になってその人ときき驚く、色が白くておしゃべりで、派手な着物を着ていたことが、あの頃の印象として残っていた、養子、芸者、情人と逃避行、伝え聞きなことながら、おおよそ、そんな運命を辿るに至ったのも、あの子供の頃に因縁することであろう、誰が好んで反逆児たらんや。
お萩をつくる。
夜は気温清涼、蛙とも河鳴りとも渾然としてものの音あり、裏にレコード聞こゆ、新月やや明るし。
6月7日 晴
紅薔薇の花盛りとなる、農家は田植えの繁忙期に入る。
夕方、河原田の方へ下りてみる、野うばらの盛り、草むらに夏虫が啼いている、大麦は傾斜の畑、すでに色づく。
6月8日 晴 午後曇
人の日曜日より更になすなく明け暮るるは侘し。
おぞましく生きむさぼるとあらなくになすなく暮し夕べ夕べさびし
6月9日 雨
投函、女性時代社、酒井静江さん。
追加の歌6首、焦りていよいよ歌は出来ず、蘭交帖と同封する。
雨に打たれて薔薇の花いたましく散る、サボテンは蕾ふくらむ。
行きずりについ摘んで来た野薔薇が、灯の光を受けて実に美しい、しののめのわれは野うばら、という詩があったっけ、野の花はあんまり忘れられている、金ぽうげや
6月10日 曇 夕刻から雨
午前、洗濯、寝巻をとじる。
お寺へ行く、お墓の除草をする、堂裏の共同墓地の中に母の石塔の周囲だけ、雑草の根絶やされたようだ、墓地の土は痩せているものの、往年の悲愁なお新たなるを覚える。
苺を買って来る、ジャムをつくる。